写真「飛騨市公式観光サイト」より
毎年1月15日に開催される「三寺まいり」は親鸞聖人のご恩を偲び3つの寺を詣でる、飛騨市を代表する伝統行事です。
街中に和ろうそくを模した巨大な雪像が立ち並び、鯉の泳ぐ瀬戸川沿いに揺れる炎が並ぶ、とても幻想的な光景が見られます。
その「和ろうそく」を知るために向かったのがこちら
三嶋和ろうそく店
飛騨市に江戸時代から230年間続く老舗の和ろうそく屋さんです。
当然のことながら昔は電気などなく、暮らしを照らすのはろうそくの灯りのみ。
つまりろうそくは生活必需品でした。
それが戦後になり人々の暮らしぶりが一変。
蛍光灯が街中を照らし、西洋ろうそくが普及します。
ご主人曰く、闇の時代の到来だったと・・・
時代の波に翻弄され、全国的にろうそく店の姿が消えていく中、
飛騨市でも和ろうそく専門店はここ一軒のみとなりました。
現在7代目当主と、8代目次期当主によりその伝統が守り伝えられています。
店頭の作業場では、和ろうそくの製作工程を実演を交え伺うことができます。
和ろうそくが西洋ろうそくと全く異なるのはまずその構造です。
西洋ろうそくの芯は見てのとおり糸1本。
それに対し、和ろうそくには芯だけで3つの材料が使われます。
「和紙」を巻き、その上に「灯芯」を巻き、それがほぐれないように「真綿」で留めます。
この状態で奈良の職人さんより納品されるのだそうです。
※「灯芯」とはい草の髄の部分。いっぽんいっぽん引き出して作られるのだそうで、このパーツ一つとっても職人技…
この構造のおかげで芯の周囲に空洞ができ、空気の流れができます。
それがあの、炎の揺らぎの秘密です。
西洋ろうそくは石油が原料で、パラフィン蝋とも呼ばれます。ミツバチの巣からとる蜜蝋もありますね。
和ろうそくの原料は「ハゼ」という木の実で、「ハゼ蝋」「木蝋=もくろう」とも呼ばれます。
ハゼは暖かい地方に育つ樹木。
この丸い塊の状態で主に九州や四国から納品されているのだそうです。
塊の蝋を削って溶かして練ったものを芯につけていきます。
この写真は芯に均等に蝋をつけるため、束ねて回している様子。
17回~18回繰り返し、バウムクーヘンのように重ねて太くしていきます。
さらにいっぽんずつ、手で擦りながら空気を含ませる工程を経て、緑がかった蝋が白くなります。
最後に先端の蝋を落とす芯出しです。
この一連の作業、すべて終えるまでになんと約13時間!
朝4時過ぎからノンストップでかかられるのだそうです。
寒すぎる時期は割れやすく、暑い時期は固まらず。
ろうそくづくりの最盛期は春先と秋。
その繊細さがうかがえます。
赤い蝋燭は、このように白い蝋燭の上に顔料を溶いた蝋をかけて作られます。
ほんの5秒で触れるまでに固まる様子が面白い!
和ろうそくは、その原材料がすべて植物由来ですから、すすが少なく空気を汚しません。
また蝋の部分がすべて燃えきっていくため、横に垂れることはありません。
和ろうそくの炎は風が吹いても消えることなく、風がないのにゆらめきます。
この動きがぴたりと止まると、縦に大きく、細く長く伸びていきます。
炎の移り変わる様をながめる時間は、ふと心穏やかに、無になっていることに気づきます。
最近ではヨガや瞑想に和ろうそくを取り入れる人が増えているそうです。
昔は調理にもお風呂を沸かすにも、暖を取るのも「火」
暮らしの中に当たり前に火があって、自然に癒されていたのかもしれないと、ご主人はおっしゃいました。
そういえば今、焚火ブームとも言われています。
火が身近にない暮らしにあえて火を持ち込む。炎の持つ癒しの力が多くの人の心をとらえているようです。
今回は「三嶋ろうそく店」を訪れて、和ろうそくがすべて植物からできていることを知りました。
そしてこの1本のろうそくができるまでに、日本各地の職人の手が関わっていることを知りました。
つまり、この炎を絶やさぬためには各地の職人の技と同時に、各地の森が健康であることが必要です。
コロナ禍ですさんでしまった人の心を癒したい、そんな切なる願いが込められた優しい炎があることを知りました。
飛騨の魅力。多くの人に知ってほしい日本の誇りがここにもありました!
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